■論
評 |
2024年2月17日
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旧呂健二執行部の評価は多面的に
本紙代表 李 相 善
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50年間在日韓国人社会に奉仕 政府支援金増額に貢献
前団長の呂健二氏は団長就任時の公約として、韓日関係の改善、同胞の生活と権益を守る、地方参政権運動の推進、後継者次世代育成等を掲げた。
主要組織経歴として、呂健二団長は72年に青年会結成運動に参加し、在日韓国青年商工人連合会会長、民団脱北者支援センター設立、民団生活相談センター設立、民団中央本部副議長、議長、2期におよぶ団長就任など、約50年間、在日韓国人社会に奉仕してきた。50年という半世紀もの時間を同胞社会一筋に捧げ、大きな成果を残してきた人士は少ない。
また、コロナ禍のなか、一人10万円の特別定額給付金が在日同胞にも支給されるよう尽力し、日本政府をして実行させた功労を忘れてはいけない。在日韓国人の生活を守ることに、身を粉にして取り組んできた成果の一つである。韓日友好親善を唱え、公明党の山口那津男委員長との20数年間にまたがる友好は功を奏し、民団組織に反映されている。日韓親善協会との連携においても、気骨がありながらも柔和な人柄を活かし、友好を深めあってきた。全国の代議員、中央委員は、そうした背景や事実をしかと認識しなくてはならない。
尹錫悦大統領就任以降、韓国へ頻繁に往来し、尹大統領とは6回面会して親交を深め、在日韓国民団の威信をいかんなく発揮してきた。そうした努力を経て築いた信用性が、後の政府支援金の増額にも繋がり、全国の地方本部に配分されたのである。
昨年8月には日本の岸田首相と共に韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝し、韓日友好に心血を注いだ。韓日パートナーシップ宣言25周年の精神を汲み取り、地方参政権獲得運動も声高に叫び、在日韓国人の権益を守ってきた。さらに昨年11月には「みんだん留学生支援センター」を発足させ、留学生を総合的にサポートする取り組みも始めた。
2期目に入り二派に分裂
ところが2期目に入り、組織運営面において呉公太元団長との確執が生じ、全国の地方本部の対立、分断を招いた。なにか政策面での意見相違による対立があったのではなく、その発端は、両氏の間に生じた極めて個人的な感情論のもつれであり、いわゆる私怨≠ニ呼ばれるものであった。呂健二氏に、中央のリーダーとしての不備があったのは事実である。哲学者マキャベリは「組織の発展期には混乱あり」と主張するが、まさにその通りの形となった。
各地方の2、3世の一部から、「辞任せよ」との声もあがった。しかし、まずもって重要なことは、本国政府からの支援金が、従来通り円滑に支給されることである。もし、支援金が打ち切られたら、辞める・辞めない以前に、全国の民団組織のほとんどが大打撃を受け、民団存続・組織運営において大きな危機を迎えることとなるからだ。
在日外国人の教育・文化・人権向上に尽力
いつの時代も組織には混乱と発展のための衝突・改革はつきものである。呂健二執行部でなくとも、世界中ありとあらゆる組織がその都度行き詰まり、明日の活路を見出すため、苦境に陥り大転換期に遭遇した。民団組織が戦後、混乱期に在日同胞の生活を守り、人権を確保するために結成されて、今日まで78年の歴史をもつに至った。現在、在日外国人が300万余人を超え、国の数も200を超えている。これまで彼らが、民団組織のように人権問題で戦ってきたケースは少ない。
日本政府は在日韓国・朝鮮人をマヨネーズのように日本人として同化させようと、あの手この手を尽くしてきた。しかし、熱い民族心を元に教育、文化、人権を主張し、同化政策に非協力的な民団組織に対して、苦々しい目で見てきた側面はあったことだろうし、それは今も同じだろう。
在日同胞は2、3、4世の時代になり、日本で民団組織の新たな在り方が問われている。2月27、28日の中央委員会・大会が、次世代の彼らの意志と民意が反映される場となり、新出発の門出となることを望む。色々な論争が巻き起こったが、それでも呂健二氏が団長職を放棄せず、民団組織という名の船を守るため、歯を食いしばって難局に立ち向かってきた姿を評価したい。代議員、中央委員の皆様は、そうした経緯を踏まえた上で、多面的に現執行部をみてはいかがだろうか。
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